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ナンテタッテあいどる1


アイドルを振り返ると1971年 天地真理、、南沙織から始まり現代まで続いていますが、すごい量になります。

私の選んだものだけです。しかしびっくりしたのが天地真理。


初代アイドルだったんですね。

ドラマ「時間ですよ」から出てきて、前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなり後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立したと言って良いでしょう。南沙織は英名でシンシアと言い、吉田卓郎とかまやつひろし合作で歌にもなったほどです。1972年にはアグネス・チャン、麻丘めぐみ等でこれがまた可愛い。



森昌子もこの年だが除外。

1973年浅田美代子、桜田淳子、山口百恵、キャンディーズ。

浅田美代子は「時間ですよ」2弾目アイドル。




桜田淳子は多くの歌を残し、女優へ行き大量の映画、ドラマい足跡を残し1993年引退。
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そしてビッグアイドルとして登場したのが山口百恵。

多大な功績を残し、単なるぶりっ子アイドルでなかった。

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三浦友和と数々の映画、ドラマ、CMに出て。

結婚して完全引退。

レジェンド百恵となった。


百恵が最高のアイドルであったという人は多く、全く芸能界から足を洗ったことは褒めてあげたい。
が私は後に出てくる、ナンテッタッテアイドルの松田聖子。

馬鹿にしちゃいけないよ!!

キャンデーズは初のラン、スー、ミキノトリオアイドル。


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1974年は浅野ゆう子、木之内みどり、伊藤咲子、太田裕美、松本ちえこ、相本久美子、リンリン・ランランらと多い。

純然たるアイドルは木之内みどり、伊藤咲子、太田裕美といったところか?



img_0 (1)

木之内みどりは少し色っぽいので、ファン層が限られそうメジャーで無いと思われる。

伊藤咲子実業家と結婚、歌手活動を休止。カラオケ店をして歌手活動再会、離婚、再婚、現役となった。
太田博美は少し舌ったらずで、幼い顔をしていて「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。









ピアノもギターも弾けライブハウスで歌い、デビューはピアノの弾き語りで「雨だれ」。

木綿のハンカチーフでブレークし紅白5年連続出場。

その後も活躍は続き伊勢正三(かぐや姫)と大野真須美(ガロ)と「なごみーず」というグループを結成し「アコースチック コンサート」を続けている。

1975年岡田奈々、岩崎宏美、リリーズなど。



Pict0531.jpg

岡田奈々は「青春の坂道」等が有名だが、女優として成功した。

大学時代、部屋に暴漢が入り30針縫う怪我を負わされたが、犯人は事項を過ぎても捕まらなかったという。

岩崎宏美は可愛いが、目が細くアイドルではそう目立つほうではなかったが、歌唱力は抜群で歌手として多くの作品を残した。



「スター誕生」で歌唱力を買われ、8社のレコード会社からお呼びがかかり、シングル61作出しオリコンで15作がベスト10に入り、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」「ロマンス」「センチメンタル」はオリコン1位になり、「聖母たちのララバイ」は5週連続1位となった。この歌は


火曜サスペンス劇場の主題歌となった。

紅白は14年連続出場。その後海外にも進出。2008年には妹の良美とコンサートもした。



1977年。榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、清水由貴子、荒木由美子、香坂みゆき、五十嵐夕紀、アグネス・ラムら。
続々と出て来ますねー。


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榊原郁恵は高校2年の時にホリプロ主催「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界入りを機に上京し堀越高等学校へ転校。
当時のアイドルには珍しくスリーサイズはB85W63H88とぽっちゃり型。

そこがまた受けて、歌手的には「夏のお嬢さん」が一番売れたがオリコン11位が最高。しかし紅白に6回出場。アイドル的にはかなり成功し プロマイド月間売上1位獲得17回という実績を持つ。

CMが多く、渡辺徹と競演し結婚にいたる。

大場久美子はアイドルの王道を通って「コメットさん」で人気が出て、
全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。しかし1時歌手活動を辞め5年後復帰しヌード写真集を出し、実家が全焼。京都にレストランを作ったが倒産(1度行ったがグッズも充実し込んでいた)。続いて所属事務所倒産。母親と二人三脚で個人事務所「オフィス大場」を設立。レストランの負債が返せず破産宣告。

5年後母が亡くなり、翌年結婚するも5年で離婚。

その裏には母の死が引き金となり約8年間、パニック障害を煩っていたのである。しかし克服し認知行動療法を学び、2009年10月、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得。翌年半ば過ぎ頃から、心理カウンセラーとしての活動も本格的に開始する。1995年頃から、カンボジアの教育支援や医療支援などを中心に行っているNGO団体・「公益社団法人セカンドハンド」の活動に協力し、2008年より同団体の広報大使を務めている。



昨日はベスト3に入る大場久美子で終わりました。
大場久美子は好きで、アイドルの大道を歩んでいたと思っていたが、大変なめに合っていたんですね。
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本日は同期「高田みずえ」
フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18回グランドチャンピオンとなり、1977年3月25日に「硝子坂」でアイドル歌手としてデビュー。
4曲連続でヒット、1977年に第19回日本レコード大賞・新人賞、日本歌謡大賞・放送音楽新人賞、FNS歌謡祭・最優秀新人賞などの新人賞を受賞した。

アイドルは顔だけでないと教えられました。森昌子も同様。偏見?かな?

1985年2月に当時大関で大相撲人気力士だった、若嶋津六夫との婚約発表と同時に、歌手活動を含めた芸能界引退を表明する。

松ヶ根部屋のおかみさんとなる。

「香坂 みゆき」
は写真のように可愛かったが「欽ちゃんのドンとやってみよう!」でマスコットとなる。
2度目の結婚で お笑いタレント清水圭と再婚。

1978年代。「石野真子」は芦屋出身のお嬢さんで少し太り気味の少女だったが

中学3年後期、躾に厳しかった父親も習い事には理解を示し平尾昌晃歌謡学院大阪校入学。

講師から「本気で歌手になる気があるならオーディションを受けてみないか、君の実力ならきっと
受かると思う」と勧められる。

翌年『スター誕生!』の予備審査と予選会を勝ち進み、本選の大阪大会で審査発表では会場の
一般審査員からの得点だけで合格点を超えてしまい、阿久悠ら専門審査員を驚かせる.

決戦大会に出場、スカウト希望した事務所はなんと16社。大阪大会時点でスカウトされていた所属事務所は

バーニングプロダクションに入る。

吉田拓郎が作った『狼なんか怖くない』でデビュー。

念願の新人賞も取る「アイドルのサラブレッド」であった。

1980年『日本テレビ音楽祭』のトップ・アイドル賞を、昨年まで女性部門は山口百恵が連続受賞していたが
受賞する。
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1981年引退発表、石野真子ラストコンサーがテレビで放送された。生中継は山口百恵以来。
同年長渕剛と結婚。2年後離婚と共に芸能界復帰歌手、女優としてがんばっている。

「石川 ひとみ」は同期で
デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得ていたが9枚目のシングルで引退決意も10枚目の三木聖子のカバー曲「まちぶせ」が大ヒットなり、ロングヒットとなり、引退できなかった。
1987年に慢性B型肝炎を発症し治っても渡辺プロダクションから契約を破棄されたが1993年ミュージシャンの山田直毅と結婚。
その後、NHK『母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。

「倉田まり子」(後に坪田まり子と改名。

「倉田まり子」1974年、TBSの番組『家族そろって歌合戦』が長崎県島原市で収録された際、それに出場したことをスカウトマンに見初められて高校1年のとき上京NHKの人気歌番組『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員として1978年4月からレギュラー出演(~1981年3月)した。

1979年1月にキングレコードから「グラジュエイション」でデビュー。日本歌謡大賞放送音楽新人賞・FNS歌謡祭最優秀新人賞・日本レコード大賞新人賞受賞。石川ひとみに顔が似ているとも話題になり、抜群のプロポーション、脚線美の持ち主だった。

しかしし1985年に「投資ジャーナル事件」(不正売買事件で犯人に7000万円の家を貰ったと報道された)に巻き込まれたことがきっかけで、本人は関係を全面否定するも芸能活動から引退する事態に追い込まれた。

芸能界から引退後は、国際法律事務所の秘書、資格試験予備校LECの執行役員・講師を経て2003年に独立起業。坪田まり子の名でキャリア・カウンセラーとして、大学生への就職指導、企業・自治体向けのプレゼンテーション能力向上や営業力強化等の研修ビジネスを手がけ、各地での講演活動を行っている。

2010年現在は東京学芸大学の特任准教授(キャリア支援担当准教授)を務める。



「井上望」「スター誕生!」出身。番組史上最高の買い手があがった。1979年ビクターから「ルフラン」で歌手デビュー。同年暮れの日本レコード大賞では「好きだから」で新人賞を受賞。アイドルが所属しない第一プロから、次はぜひアイドルを売り出したいと熱心に誘われたので受けたが、第一プロがアイドル歌手の部門に弱く充分な売り出しが出来なかったため、それが裏目に出てしまったようだと本人がインタビューなどで語っている。



テレビのアニメソングを歌ったことをきっかけに、アニメソングの作詞作曲をはじめ、作った歌は数百になる。エド山口(モト冬樹の兄)と結婚。2人の娘と共に家族4人で家族円満にしている。







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松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手である。

というより今までのアイドルの中で一番だと思う。

また

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